生い立ち

BIOGRAPHY

 

ヤナケン

こんにちは!

柳井です。

 

このページでは私の生い立ちを時系列に紹介してます。

今でこそ独立して自由気ままな生活を送っていますが、ここまでの道のりは挫折と失敗の連続でした。

それでは、どうぞ!


8人家族の長男として、東京都立川市に誕生

赤ちゃん

生まれも育ちも東京立川市。

8人家族の長男(両親、姉3人、弟2人)として生を受けました。

一般的なサラリーマン家庭で子供が多かったせいもあり、やや貧乏な家庭生活でした。

 

幼少期~小学生:想像にふける毎日

想像にふける幼少期~小学生時代

幼少期~小学生時代は家にTVがなく、友達とのテレビの話やゲームの話についていくことができませんでした。

戦隊もののTVの話題、マリオやストツーの話題、当時は何のことやら全然わからず孤立状態に…

 

しょうがなく欲求を満たすために絵を描いたり本を呼んだりして、創造の世界に自分なりの楽しみを見出しておりました。

(ちなみにこのころはグリム童話といったファンタジーものの本が大好きで、想像力が膨むと手書きで魔物や怪物を書いたりしてました)

 

この時の経験が大きかったのか、いつしかクリエイティブな仕事に就きたいと考えるよになっていきます。

中学時代:強い男にあこがれて

挑戦

中学時代は、強い男への憧れから柔道部に所属。

猛特訓の末に、色んな大会で賞を受賞し、高校は柔道で推薦入学できたのですが、”女性にモテない”を理由に柔道を辞めます。

 

高校時代:PCゲーム漬けの毎日

PCにはまる高校時代

高校時代、人生で初めて手に入れたPCにはまり、毎日ゲームやインターネットに没頭しておりました。

ディアブロ、ヒットマン、マフィアなど、アクション系のゲームは結構やりこみましたね(笑)

 

 

大学進学時:国立のデザイン学部を志望するも不合格

恐怖心

高校卒業後、幼少期から念願であったクリエイティブの仕事に就くため、デザイン系の大学に進学を志望します。

家にお金がなかったのもあり最初は国立のデザイン学部を目指すわけですが、そもそも勉強をしてこなかったこともあり試験は不合格。

浪人時代:浪人するもまたも不合格

考える人 反省 悩む 落ち込む 凹むその後、再度受験をするために1年間の浪人生活をおくります。

1浪してセンター試験を受けた当日のことですが、自分の得意とする数学で全くと言っていいほど回答をかけず…

テンパりすぎたせいか気絶してしまい、最低な結果に終わりました。

今こそ笑い話ですが、当時は「この先どうしたらよいのか」とかなり落ち込んだのを覚えております。

 

なかば進学をあきらめていた私を見兼ねて、家計がきつい中にも関わらず母親が私立大学への進学を勧めてくれます。

そうして私立大のデザイン学部に入学が決まり、私の大学生活がスタートしていきます。

今、こうしてデザイナーとしてキャリアをスタートできたのは、あの時の母の優しさがあったからこそです。

大学時代:遊びほうけ

遊びほうけた大学生活

入学後は希望のプロダクトデザインという学科を専攻し、ソフトの使い方やデザインの考え方について学んでおりました。

しかし、大学2年生の時に勉強に意味を感じなくなり…毎日のように夜遊びにふける生活を送ることに。

 

遊びの度が過ぎ、遊びのお金がバイト代で賄えず、奨学金にまで手を出したこともあります。

当時を振り返ると、本当に最悪な親不孝野郎でした。

 

これから大学に進学する方へ一言!

遊びも大切ですが、身の丈に合った遊び方にしてくださいね。

ちなみに遊びのツケは社会に出てから回ってきますので…(笑)

就職活動時:師匠との出会いから、進路変更

師匠との出会い

どうしようもない学生時代を送りながら、就職活動の時期が近づくわけですが…

デザインに対する熱がすっかり冷めていたこともあり、デザインとは全く関係のない企業の就職試験を受けておりました。

 

そうこうしながら数社から内定を頂き、どこに就職しようかなどと考えていた時ことです。

デザイン学部に新任の教授が来ることになり、配属前の説明会が開催されることに。

教授の肩書(元IBMのデザイン部のマネージャー)に誘われた私は、興味本位から教授の説明会に参加してみることにしました。

(教授の実名を出すことは控えさせていただきますが、有名なThinkPad(IBM製)というパソコンの原型を作った人でもあります)

 

説明会で教授の話を聞いているうちに、私のデザインに対する考えがガラガラと崩れ落ちました。

それまで大学で教わったデザインといえば、見た目のスタイリングやグラフィックの見た目の美しさ、奇抜なアイディアといったもので、結局はセンスのある学生が高く評価されるというものでした。

ところが説明会で教授が話されたのは

  • 「誰のために何のためにデザインするのかが大切」
  • 「デザインの良し悪しはデザイナーが決めるのではなく、お客さんが決める」
  • 「主観的でなく客観的な視点からデザインする手法を学ぶ」

ということで、今までの教え方とは全く異なるデザインの考え方でした。

 

説明会終了後すぐに「これは絶対に学びたい!」という想いが湧き上がり、説明会終了後すぐに教授の研究室へ異動願いを出します(当時は他の研究所にいたので)。

これが私のデザインの師匠である教授との、最初の出会いでした。

 

こうして師匠の元、デザインを勉強を進めていくわけですが、あれほど嫌だったデザインが面白く感じるようになり、結局、内定を頂いた会社をすべて断り大学院に進学を決めます。

そうして師匠の元で、デザインの本質を習得しました。

大学院修了後:中小企業に就職、10ヶ月で退職

大学院終了後、中小企業に就職するも10ヶ月で退職

大学院修了後、身に着けたスキルを携え、意気揚々と都内の中小企業に就職します。

配属されたのは企画部門という部署で、営業用のプレゼン資料や販促物(チラシや会社案内)の制作が主たる業務でした。

 

ところが意気揚々と入社したものの…

月の残業時間が100時間を超える環境、先輩や上司の愚痴とやる気のない姿勢、そういった悪習慣にうんざりしてしまい、わずか10ヶ月で退職を決めます。

 

上司にやめることを相談した際、

「俺が社会人の時なんて、サービス残業は当たり前だった!」

「今辞めたらお前の未来はないぞ!」

と散々脅されたのですが、この時はとにかく辞めることしか考えていなかったので、そういった反対や脅しを押し切り退職します。

 

ちなみに退職のきっかけとなった本はこちらです。

アルケミスト

羊飼いの少年が夢を抱いて旅に出るという内容です。

チャレンジ精神が湧いてくるとてもいい本なのでぜひ読んでみてくださいね!

退職後:自分探しの旅に

退職後は自分探しの旅に

退職後、道を見失ったこともあり、自分探しの旅に出ようとバングラディッシュとインドへ放浪の旅へ。

フラフラと放浪しながらヨガをしたり、寺院にこもって瞑想にふけったりしたものの、特に自分を変えるような体験には出会わず、お金がなくなり3ヶ月で帰国します。

帰国後:フリーランスWEBデザイナーとして独立

帰国後はフリーランスのWEBデザイナーとして独立

帰国後、とくにやりたいことは見つかっていなかったのですが、会社勤めだけは絶対に嫌でした。

そこで「WEBデザイナーだったら仕事が多そう!」という軽い気持ちでフリーランスのWEBデザイナーになることを決めます。

 

もともとグラフィックデザインしかできなかったこともあり、最初にWEBデザインを3か月程度で独学習得して、後はノリで仕事を探して受注を受け初めました。

こうしてWEBデザイナーとして独立を果たすわけですが、最初はとにかく安い案件を大量にこなすスタイルで、収入はカツカツなのに鬼のように忙しいという地獄の日々でした。

 

「こんな生活、長くは持たないな…」

フリーランス時代は経済的にも体力的にもきつい日々で、毎日のようにそんなことを考えておりました。

2012年:ひょんなことから南三陸町へ移住

ひょんなことから南三陸町へ移住

そんな苦しいフリーランス生活を送っていた私に、最大の転機が訪れます。

たまたま母親が聞いていたラジオ番組で、被災地の南三陸町(宮城県)という地区で観光協会職員が募集されていることを知ります。

 

ろくに募集要項も見ずに、「とにかく環境を変えたい」という想いから軽い気持ちでエントリーしてみることに。

面接を何度かした後、すぐに内定が決まり、私の南三陸町移住が決まります。

2012~2016年:田舎で見つけた新しいライフスタイル

南三陸町で見つけた新しいライフスタイル

南三陸町移住後は観光協会で3年働き、地域活性化に関わることに。

サービス残業やくだらない社会のルール(上司より先に帰ってはいけないとか)がなく、活き活きと楽しく仕事をさせていただきました。

給料については田舎の方が都内よりもはるかに安いのですが、そもそもお金を使う場面が少ないので、経済的にはそこまで困ることはなかったです。

 

そんな環境の中、デザイン、ツアー対応、イベント企画と、様々な分野に関わりながら、がむしゃらに働き続けましたが、特にストレスも感じず「仕事ってこんなに楽しいのか!」と思う3年間を送ることができました。

 

TIPS

田舎暮らしを目指す方へワンポイントアドバイス

よく「なんで被災地に移住されたんですか? 復興支援のためにきたのですか?」と聞かれるのですが、恥ずかしながら当時の私は「とにかく自分の環境を変えたい」という自分本位な気持ちでした。

ただ復興のお手伝いさせていただく機会は沢山あり、結果として地域の役に立てたと感じております。

既に4年移住生活を送っているのですが、その間色んな移住者を見てきて感じることは、最初から想いが強すぎる人ほど、思い通りにいかず挫折して帰ってしまうということです。

なので、私くらいの感覚が移住の一歩目としては良かったのかななんて思っております。

 

田舎に移住を考えている方のアドバイスとして、力まずライトな気持ちでスタートすることをお勧めいたします。

2016年:起業・独立

挑戦する勇気

観光協会時代、契約社員だったこともあり、副業が認められておりました。

そこで移住2年目から副業で物販ビジネス(お土産品の卸売業)を始めたのですが、想像以上にうまくいき順調に売り上げを伸ばしていくことができました。

 

そうこうしながら副業が片手間ではできなくなってきたため、迷ったものの観光協会を退職し独立することに。

現在は、地元の観光土産品を開発しながら卸売り・小売りのビジネスを中心に展開しております。

デザインと物販で、年商2,000万円を稼げるまでにビジネスを成長させることができました。

 

人生を変える少しの勇気、1つの出会い

時に、少しの勇気と一つの出会いが、人生で大きな意味を持つことがあります。

できの悪い私がここまで成長できたのは、少しだけ勇気をだして挑戦したこと、その中で出会い支えてくれた人たちのおかげです。

いただいたでき事一つ一つに感謝を忘れることなく、今後とも精進してまいります!!

 

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